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ZARD

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2012年5月23日 (水)

APD開始

さて一昨日からAPDの
本番開始、
約8時間程の時間を
かけての透析です。

液体が腹部に入ると
お腹は膨張して
パンパンです、

しかもその間繋がれて
いるのでトイレが鬼門です
繋ぐ前に一度トイレは
済ますのですが、それでも
6時間程過ぎた頃には
尿意が襲って来ます。

最悪尿瓶を使えば良いの
ですが、今は何とか
使わずに乗り切っています。

そんな、入院ライフですが
同じ病室の患者さんを
見ていると、皆初めての
透析入院と言う様子で
一様に沈んだ表情です。

まるで7年前の自分を
見ているようです、

あの頃、病名を宣告され
全てが終わった…と
苛まれながら
目の前真っ暗だった自分

そうこうと五里霧中の中
今はまだ生きている事に
感謝や不思議、不安が
混ざり合いながらも刻む
時間を過ごしています。

あの頃、諦めや決め付けで
全ての事から目を逸らしていた
自分、それは未だに
払拭しきれてないかも
しれませんが、

まぁ適当に生きて生きたいと
思います。

今後はお腹の管に気を
使いながらの生活が
上手く行くかが不安です。
後、CAPDの機械操作や
トラブルですかね。

2012年5月18日 (金)

透析デビュー

只今、病院からの更新
遂に透析デビューです

先日、お腹の管を取り出し
先端部に接合部を繋げ
手術は終わりました。

手術は局所麻酔での手術で
行われるも、やはり意識の
ある中での手術は生々しい
ですわ…

そうこうして、手術は
終わりその晩は安静でした
そして翌日から透析開始の
為、技手をレクチャー。

以前にも習ったのですが
一年も前の事、忘却の空です

先ずはお腹の中の液を
徐水して、新しい液を
注水、いくつかの手順を
踏んで、約30分程度で
終了。

慣れない自分は徐水した
時に目眩に襲われてしま
って、しばしどこかの
世界にトリップ

このままイッてしまって
も構わないと言った気分
に陥った時でした。

一応就寝中に一気行う
機械を使ってのタイプを
選択しましたが
それは7〜8時間掛かる
との事で、軽くゲンナリ

まさに究極の選択ですわ。
さて本番スタートです。

2012年4月29日 (日)

実家

San


昨晩、実家に行ってきました。

約1年数ヶ月ぶりの実家訪問でした

去年の年頭に会社を解雇になってから

一度も会っていませんでした。

数ヶ月に一度、と言った時々の電話だけで

実際に会うことはありませんでした。

と、言うのも僕の中での気持ちの切り替えや

全てを払拭する事が出来ていなかったので

そんな状態で会っても、やり場の無い気持ちを

冷たい言葉でぶつけてしまうのでは!?

そんな自分を、醜態をさらしたくなかったから

敢えて会いませんでした。

こればかりは理屈ではどうにもならない事柄だと

思っていたので、しかしこの度、会う決意をしたのは

来月の入院にあたり、入院の手続きの書類に一筆

書いてもらわないといけなかったので、行きました。

最初は嫁の両親に懇願しようと思っていましたが

実親がまだ健在なのに義理とは言え他人の親に

頼むのはチョッと筋違いかと思えてね。

でも去年の入院の時は嫁の両親に一筆お願いしました。

(心のモヤモヤが生まれたばかりの頃でしたからww)

それは現在、解消されているかと言えばNOですが

いつまでもそんな事ではイケナイと言う意識が芽生えて

来たので気持ちを無理矢理切り替えて行って来ました。

しばらく走っていない実家への道程、チョッとだけ

新鮮且つ淡い懐かしさみたいな気持ちに誘われて

その道程の中思わず幼少時代を回想してしまいました。

そうして細いあぜ道に入ると、遠くのほうからヨチヨチと

歩いている小さな姿の人、それは母親でした。

たった一年足らずとは言えども、その出で立ちや表情は

すっかりお婆さんと言った風貌でした。

そうして一緒に実家の玄関をくぐり、父親もいたので

「明けましておめでとうございます」と言ったプチジョークを

放ち、近況を報告しました。

その報告に、チョッとお馬鹿な父親はまるで昨日聞いたかの

ような切り返しばかりで過去の事からもう一度端折りながら

ヒアリング…もう苦笑いするしかありませんでした。

そうこう言いながら本件の書類への一筆を書いてもらい

その書類にサインをするですら覚束無いアクションでした。

漢字忘れた、電話番号間違えた、印鑑乾いている…

参っちゃうね…ったく。

そんな父親もすっかり白髪頭になっており、立ち上がるのも

ヨタヨタと言った具合、若かりし頃の短気な風貌はすっかり

薄れていて、親父も老けたな…と言った事を感じた瞬間でした。

そうこうして約一時間、帰り際に母親が外で僕に3万円を

手渡してくれました。何も出来ない、献腎移植の更新料

も渡せてなかったからと言っての事でした

僕は冗談交じりに二人の葬式代にとっておけと言ったのだが

それでもねじ込んでくる押し問答に負けて、一応預かりました

でも、普通に考えたらチョッと使えないよね…

僕が結婚した時、家の両親が相手の両親に渡した

結納金、その後僕らの結婚生活の支度金として

僕等が預かったのですが、それも未だ手付かずです

僕自身も嫁には使うなと言っておいたから

そうこうしての帰り道、コッチこそ何もしてやれずに

と言う思いが脳裏を過ぎり、その瞬間チョッとだけ

涙が出てきた…

そんな年老いた両親に僕は何を求め、何を依存し

何をぶつけようとしていたのだろう…

確かに僕自身にも遣り切れない思いがあったにせよ

それをぶつけた所でそのモヤモヤが相殺される訳でもなく

頭では分かっているものの、理屈と言う具現化は

出来ずにいた、それは今も続いている。

そんな僕の気持ちを察してか、母親は以前から何も

言わなくなっていた

そしてただ僕は一人きりの車中、ゴメンネと呟くだけだった。

そしてこの度預かった3万円は日付を入れ手帳に

挟む事にしました。

何か、北の国からの1シーンみたいだね

でも別に意識した訳じゃないからww

2012年4月24日 (火)

入院

今月11日は診察日でした

Crは8.26程度 BUN73.0 eGFR6.66

と言う按配でした。

そこで開口一番Dr'koに、もう透析を始めたい

と言う意思を伝えた。

するとDr'koは「おっ」と言った表情を見せた

そうして自分の置かれている現況を説明後

透析を始めたい事を懇願した。

そうしないとさ、仕事に就けないと思ったから

これで現在仕事をしているならば、もう少しあと少し

と透析までの日々を一日でも伸ばしたいと思って

いましたが、無職な現在はそうも言っていられなく

かと言って5年6年も仕事しなくて良いだけの資産が

ある訳でもないと言う理由から決めました。

正直自分の本意ではないのですが、置かれている

現況を打破するにはそれしか選択肢は無いと

思ったからです。それにこの保存期と言う中で

就活して、面接官に現在保存期と言う理屈や現況を

説明すると「あ~いつ透析になるかは未だ不透明(未定)なんだね…」

と言った切り返しをされる、相手もそこに含みや他意は無い

のかもしれないが、妄想族の僕としては、そんな僕の

宙ぶらりんな現況に疑問や不安を抱いているのかなぁ!?

と勝手に妄想してしまい、それも今回の透析を決めた一因です。

そして今時期に導入することをDr'koに問いかけると

決して悪くは無い、寧ろ残腎機能のある内に入った方が

体には色々融通が利くと言われました。

まぁ今ココで透析を軽く早めて決めた所でその後すぐに就職が

決まると言う保証はないのですが、ココは何か変えた方が

言いと思い決断したことです。果たしてそれが正答か否かは

僕にも分かりません。やってみなければわからない事では

ありますが、現在の僕が出した懸命な回答と言う事で。

そんで来月半ばに2週間ほど入院します、僕は少しでも

働きたいと言う拙い思いから、腹膜透析と言う自宅管理の

方式を選択しました。そのお腹の中の管を取り出し

腹膜透析のレクチャー・開始です。

話によると自宅にて自己管理だから「細菌」には再三の

注意を払ってとの事や腹膜炎にならないようにとの

管理等が大変との事ですが、出来る限りやってみようと

思います。

ただ、通常は一日四回(各30分)の朝、昼、晩、就寝前の

透析スタイルですが、今回Dr'koの言葉では僕がかねてから

望んでいた就寝中に機械を使い一気に透析をする手法がすぐに

行けるとの言葉を頂きました。

と言う事で、まぁそれも又手探りな話なのですが、

やってみようと思います。

終わりに「生きてるだけで丸儲け!?」

謎賭けのような言葉に軽い目眩を覚えながら…

さぁ来月は入院、すっかり手馴れたもんで

必要な物は全て揃ってます。

2012年4月10日 (火)

明日、申告します

明日は、2ヶ月毎の診察日、そこでDrに透析を

導入したいと言う思いを告げてきます。

本来なら一日でも透析導入は伸ばしたいと言うのが

本心ですが、このまま保存期を粘っても、収入は無いわ

就職も決めづらいわ、と言った観点からの導入決意です

それに透析が本格導入されれば障害年金も入るしね…

そんな現在は妻と妻のパート代だけが僕を繋いでいます

ただ、もう少しキチンキチンと食事を頑張っていれば

まだ、会社生活や闘病生活も遅らす事は出来たのでは

と時々脳裏をよぎりますが、それは後の祭り…でも

今まで歩んできた道に後悔はありません。

想い出はプライスレスだから、良くも悪くも想い出、経験の

一環だと思っています。

でも、こんな病に冒されたのは何でだろう、もし神様がいたと

したら、どうして僕にこの環境を与えたのだろう、精神論かも

しれないが、僕がこの病になったのには意味があるのだろうか

と現在暗中模索です、でもその答えは未だ見つかっておりません

ただ、会社生活していたあの頃、半給料ドロボーのような

安定と言うぬるま湯に浸かっていた日々と現在の自分を

重ねると、どちらが良いとも悪いとも言えません。

会社生活を送っていたあの頃、金銭的には安定したものの

自分に対し、仕事に対しどこか物足りなさ、頭打ち、飛び出せない

自分みたいな事でモヤモヤしていました。それがこの病を切欠に

現在の現況にいるのですが、確かに金銭的には厳しい現況ですが

でもあの頃よりも自分が成長している風に感じるのは何故だろう

能力的な意味、人脈的な意味、様々な意味をひっくるめてですが、

それはもしかして錯覚なのかもしれないが、新しい事を始める

チャンスでもある訳で、きっと神様はモヤモヤしている僕に対し

そのチャンスと言うか切欠を病と言う形で作ってくれたのか?

なんて事を鑑みたりもします。

だったらこれを生かさない手はないだろうと現在様々な事柄を

妄想しています。そんな幻影に希望を乗せて日々を過ごしています

取りあえず、明日の診察で透析導入、入院の日取り等を決めて

きたいと思っています。そしてこれからが僕の人生の本番です、

今までどおりのライフスタイルは少し難儀になるでしょうが

手を変え品を変えながらも、出来る事から出来る事までを

モットーに生きてみたいと思います。

手前味噌な思いばかりでスイマセン。

そんな先日、俳優の安岡力也さんが亡くなりました

兼ねてから煩っていたギランバレー症候群から

様々な病を併発したみたいで、ギランバレーと言えば

今は無き女優の大原麗子さんも同じ病でしたよね

面識はないのですが、ご冥福をお祈りします。

「障害は不幸ではない、ただ少し不便なだけ」

ホントかよ!?ヘレンケラーさん、

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